渋谷のハロウィンって聞くと、どんなことをイメージしますか?
毎年盛り上がってましたよね。
みんな楽しそうなのは何よりなんですが、一部の人たちは、ちょっと行き過ぎた行為したり、街にはゴミが散乱したりと、あまり好ましくない状況になっている部分もありますね…
あれだけ人が集まると、テンション上がってしまうのはある程度理解はできますが、
痴漢、窃盗、ケンカはテンション上がってるからといっても許されるものではありません。
トラックを横転させたことにいたっては、もう意味不明です。
普段ならいくらテンション高くてもやらない行為、やってはいけないと分かっている行為を、なぜ、あの日はブレーキが効かなくなるのでしょうか?
ハロウィンの魔法、といってはファンタジーすぎて、そんな可愛いものではないのですが、渋谷に集まった人間を暴徒化させるものの正体は?
それは、言わずと知れた『群衆心理』です。
1.群衆心理の3つの要素
群集心理という言葉を聞いたことがある人は多いと思います。
ただ、群衆心理は、具体的にどんなことが作用しているのか?
それは、『一体感』『無責任性』『無名性』です。
⑴ 『一体感』
一体感ってのは、よく聞きますね。
文化祭とか体育祭とかでは、クラスの一体感はすごい、とか言って、担任の先生が喜んでいたりします。
この一体感ってのは、人間にとってすごく心地いいんですね。
一体感を感じてる時は、みんなが同じ方向を向いて、不純物が一切ない感覚になりますよね。
それ自体はとてもいい事だと思います。
しかし、一体感にも落とし穴があるんです。
それは、気分が高揚しすぎるということです。
気分が高揚すると、人間はバカになります。
感情が高ぶり、冷静な判断ができなくなります。
しかも、渋谷のハロウィンはみんなアルコールを体内に取り込みまくってますよね。
ただでさえ判断能力が鈍っているところに、アルコールの力が加わって、もう人間ではありませんね。
人間の姿をした何か、と言っても過言ではありません。
上手に二足歩行できる何かになってもおかしくありません。
⑵ 『無責任性』
そして「無責任性」です。
群衆は、組織等の集団と違って、一人ひとりに役割や義務がありません。
つまり自由なんです。
何をやっても、同じ群衆の誰かに責められるようなことはありません。
だから、何でもやっていい、という無責任さが出てきてしまうのです。
群がった周りの人間が、みんな味方だと思って、思い切ったことをやってしまうんですね。
そして、盛り上がってるからトラックをひっくり返したりしてしまうんです。
⑶ 『無名性』
さらに「無名性」が、押さなくていい「無責任性」の背中を押してしまいます。
人間は、自分の名前がバレないと思うと、とたんにモラルがなくなり、罪悪感が消え失せてしまうんですね。
ネットではよく見られる光景ですが、渋谷のハロウィン並みに人が集まると、ほぼネットの世界と変わらなくなります。
誰も、隣の人間の名前なんか気にしません。
気になるのは、自分より目立つ格好をしているかどうか、イケメンか、美人か、自分と同じテンションで盛り上がってるかです。
その瞬間は、それが大事に思えてしまうのです。
その結果、一部の人の頭からは、法律が消えてしまいます。
2.雑感
このように、渋谷のハロウィンを苦い顔して見ている人は少ないと思います。
そして可哀想なのは、純粋にあの場所を楽しもうとしている人達です。
自分のアイデアで、仮装して、そんな仲間で、同じ場所に集まって、びっくりするような仮装をしている人を見たり、全然知らない人に自分の仮装を褒めてもらえたり。
特に何かするわけでも、有名人が来るわけでもなく、それでも、楽しい瞬間が、そこにあるってすごく素敵なことだと思うんです。
本来のハロウィンとは、だいぶ様相は変わってしまっていますが、楽しめる場所があれば、それでいいですよね。
自治体だって、全面禁止にするわけではなく、多少は多めに見ているはずです。
この文化自体が、群衆心理に敗北した一部の人間のせいでなくなるのは、ちょっと悲しいですね。
参加する人も、参加しない人も、ネガティブな気持ちにならない、そんなイベントになってほしいもんです。

毎年盛り上がってましたよね。
みんな楽しそうなのは何よりなんですが、一部の人たちは、ちょっと行き過ぎた行為したり、街にはゴミが散乱したりと、あまり好ましくない状況になっている部分もありますね…
あれだけ人が集まると、テンション上がってしまうのはある程度理解はできますが、
痴漢、窃盗、ケンカはテンション上がってるからといっても許されるものではありません。
トラックを横転させたことにいたっては、もう意味不明です。
普段ならいくらテンション高くてもやらない行為、やってはいけないと分かっている行為を、なぜ、あの日はブレーキが効かなくなるのでしょうか?
ハロウィンの魔法、といってはファンタジーすぎて、そんな可愛いものではないのですが、渋谷に集まった人間を暴徒化させるものの正体は?
それは、言わずと知れた『群衆心理』です。
【目次】
1.群衆心理の3つの要素
⑴ 『一体感』
⑵ 『無責任性』
⑶ 『無名性』
2.雑感
1.群衆心理の3つの要素
群集心理という言葉を聞いたことがある人は多いと思います。
ただ、群衆心理は、具体的にどんなことが作用しているのか?
それは、『一体感』『無責任性』『無名性』です。
⑴ 『一体感』
一体感ってのは、よく聞きますね。
文化祭とか体育祭とかでは、クラスの一体感はすごい、とか言って、担任の先生が喜んでいたりします。
この一体感ってのは、人間にとってすごく心地いいんですね。
一体感を感じてる時は、みんなが同じ方向を向いて、不純物が一切ない感覚になりますよね。
それ自体はとてもいい事だと思います。
しかし、一体感にも落とし穴があるんです。
それは、気分が高揚しすぎるということです。
気分が高揚すると、人間はバカになります。
感情が高ぶり、冷静な判断ができなくなります。
しかも、渋谷のハロウィンはみんなアルコールを体内に取り込みまくってますよね。
ただでさえ判断能力が鈍っているところに、アルコールの力が加わって、もう人間ではありませんね。
人間の姿をした何か、と言っても過言ではありません。
上手に二足歩行できる何かになってもおかしくありません。
⑵ 『無責任性』
そして「無責任性」です。
群衆は、組織等の集団と違って、一人ひとりに役割や義務がありません。
つまり自由なんです。
何をやっても、同じ群衆の誰かに責められるようなことはありません。
だから、何でもやっていい、という無責任さが出てきてしまうのです。
群がった周りの人間が、みんな味方だと思って、思い切ったことをやってしまうんですね。
そして、盛り上がってるからトラックをひっくり返したりしてしまうんです。
⑶ 『無名性』
さらに「無名性」が、押さなくていい「無責任性」の背中を押してしまいます。
人間は、自分の名前がバレないと思うと、とたんにモラルがなくなり、罪悪感が消え失せてしまうんですね。
ネットではよく見られる光景ですが、渋谷のハロウィン並みに人が集まると、ほぼネットの世界と変わらなくなります。
誰も、隣の人間の名前なんか気にしません。
気になるのは、自分より目立つ格好をしているかどうか、イケメンか、美人か、自分と同じテンションで盛り上がってるかです。
その瞬間は、それが大事に思えてしまうのです。
その結果、一部の人の頭からは、法律が消えてしまいます。
2.雑感
このように、渋谷のハロウィンを苦い顔して見ている人は少ないと思います。
そして可哀想なのは、純粋にあの場所を楽しもうとしている人達です。
自分のアイデアで、仮装して、そんな仲間で、同じ場所に集まって、びっくりするような仮装をしている人を見たり、全然知らない人に自分の仮装を褒めてもらえたり。
特に何かするわけでも、有名人が来るわけでもなく、それでも、楽しい瞬間が、そこにあるってすごく素敵なことだと思うんです。
本来のハロウィンとは、だいぶ様相は変わってしまっていますが、楽しめる場所があれば、それでいいですよね。
自治体だって、全面禁止にするわけではなく、多少は多めに見ているはずです。
この文化自体が、群衆心理に敗北した一部の人間のせいでなくなるのは、ちょっと悲しいですね。
参加する人も、参加しない人も、ネガティブな気持ちにならない、そんなイベントになってほしいもんです。


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