通勤途中の混雑した駅で、人が倒れていたら、あなたは、その人を助けますか?

東京などの都会では、非常に沢山の人がいるラッシュ時の駅で具合が悪くうずくまっている人がいても、誰もその人を助けない、という光景を見る時がありますよね!

心当たりがある人も多いと思います・・・
私も、過去に気付きながら素通りしたことがあります・・・
あの時は、やはりなんだか罪悪感に似た何かを感じました・・・

これは、都会の人が、他人に無関心で、冷たいからなんでしょうか?

例えば、都会に住んでいる人が、地方にいって、目の前に倒れている人がいたら、その場に自分しかいなくても、ほったらかしにするんでしょうか?

そんなことはないですよね!
助けますよね!

じゃあ、この違いはなんなのか?
人間はどのような心理になっているのか?

読み解きます!

【目次】
1.数十人が犯行を目撃しながら事件を放置
2.自分の周りに沢山の人がいると思うと、助けない
3.人助けするためのステップ
4.自己責任が人助けを遠ざける


1.数十人が犯行を目撃しながら事件を放置

 1964年、ニューヨークの住宅街で、ある女性が、自宅アパート前で、暴漢に襲われ刺殺される事件が発生しました。
 犯行は30分以上にわたって行われ、アパートの住人38名が、この事態に気付いていました。
 中には、犯行を目撃している人もいました。
 このように、多勢の人が犯行に気付きながら、なんと誰一人として、女性を助けるどころか、警察に通報することすらしなかったんです!
 
 ニューヨークの人はなんて冷たい人ばかりなんだ!と、犯罪やりたい放題じゃないかと、思っちゃいますよね。
 当時の報道でも、大都市特有の他人への無関心と冷淡さが背景にある、と報じられたそうです!
 そりゃそうなりますよね!

 でも、ホントにそうなんでしょうか?
 都会の人間が冷たいから、このような事件が発生してしまったのでしょうか?

 このような疑問をもった心理学者ラタネとダーリーが、都会の印象を復活させるためかは知りませんが、実験を行いました。

2.自分の周りに沢山の人がいると思うと、助けない

ラタネとダーリーがぶちかました実験は、下記の通りです。

初めに被験者である学生に集団討論会への参加を依頼。
集まった学生を個室に案内。
個室にはインターフォンがあり、インターフォンを押すと発言ができる。
学生は他の部屋の学生と顔を合わせることはない。
学生は、インターフォンを使って、順番に発言する。

こんな感じで、学生たちは、出題された議題について討論を繰り広げていきます。

学生たちが討論していると、突然、別の部屋にいる学生の1人が発作をおこし、インターフォンで助けを求めてきます。

参加者が突然発作になったら、監督者に報告するなど、何かしら救助活動に出るに決まっている、と感じますよね?

この実験は、討論の参加者を6人、4人、2人、と人数を変えて行ったのですが、参加者が2人の場合は、3分以内に監督者に異常事態を報告したのに対し、6人の場合は、4分を経過しても、60%の人しか報告しなかったのです。

被験者である学生たちは、冷淡な人間ばかりだったのでしょうか?

もちろんそうではなく、人間は、多くの他者がいるときほど、援助行為を起こしにくくなるのです!
これがズバリ「傍観者効果」です!

3.人助けするためのステップ

ラタネとダーリーは、この実験結果から、人が他人を助ける過程には、5つのステップがあると考えました。

1 異常事態に気づいたか
2 この異常事態が緊急を要するということに気づいたか
3 援助を行うことについて、自分がやらなければならないと考えたか
4 援助を行うために、何をすべきか理解しているか
5 実際に行動に移すか

お察しのとおり、傍観者効果に影響しているのは「3 援助を行うことについて、自分がやらなければならないと考えたか」ですね。
周囲に他の人がいると「自分がやらなくても、他の人がやるだろう」と思ってしまうわけですね。
なんとなく、耳に痛いというか、心当たりがあるというか。

みんな、自分と同じように「誰かやるだろう」と思った結果、誰もやらない、という、あるある展開になるわけです。

4.自己責任が人助けを遠ざける

たまに、報道で、紛争地帯に出向いて、武装勢力に拘束される人たちがいますよね。
人質として日本との交渉材料にされたり。
このような人たちに対し、結構な割合で、「自己責任やんけ!」という批判がされます。
つまり、人質になった人に対して、援助を行うかどうかの判断基準が、自己責任かどうかが考慮されているのかもしれません。

ここで、また実験をぶちかました人がいます。
その名はパメラ。

パメラは、250名の学生を対象として、下記のような実験をおこないました。

学生たちに、HIVと診断された患者に関するストーリーを読んでもらう。
このストーリーには5パターンあるが、いずれもHIV患者の話であることは共通している。
ただ、HIVに感染した原因が異なる。
ストーリーを読んだ後、学生たちに、ストーリーに登場した患者を援助したいか質問する。

この質問に対し、例えば、輸血によってHIVに感染した患者のストーリーを読んだ学生は、患者を援助したい、と回答しましたが、性交渉やドラッグで感染した患者のストーリーを読んだ学生は、援助を申し出ませんでした。

そりゃそうだろ、って感じですが、そこが重要なんです!
登場する患者は、同じようにHIVに感染しているはずなのに!

つまり、不幸や災難の原因が、本人にない場合は、その人を助けなるけど、原因が本人にある場合は嫌悪感を生じて、助けないのです。
嫌悪感まで感じるって、すごい差ですよね!

この実験結果は、当然といえば、当然ですが、人間の心理の中には、「自分のケツは自分で拭け」という考えが存在しているんですね!

責任の所在は、援助の有無を大きく左右するってことですね。