人見知り司法試験合格者 読解くん(ヨミトくん)のアウトプット

2021年09月

 

小室圭さんが、晴れてニューヨークの弁護士になった後、過労で倒れた結果、他の弁護士が代理人になって、色々訴訟起こすんじゃないかと、今から脳みそに汗をかいているヨミトです。

 

さて、犯罪者の中には、緻密に計画を練るタイプもいますが、いわゆる衝動的に犯行に及ぶ人もいます。

 

犯罪者は、なぜ犯罪を起こすのか、最初から、犯罪を起こしてやろうと、息巻いていた人ばかりなのでしょうか。

 

【目次】

1.犯罪者に対する聞き取り

2.犯罪を犯してしまう4つの理由

3.犯罪をエスカレートさせる「場面」の力

4.雑感

 

1.犯罪者に対する聞き取り

 

犯罪を起こしてしまった理由を実際に調査した報告があります。

 

もう、捜査や裁判でさんざん聞かれたであろうこと、あえて、もう一度聞くという、鬼畜の所業です。

 

ある刑務所で生命犯罪(殺人や殺人未遂)または性犯罪で受刑している人を対象に、事件を起こしてしまった理由を回答してもらいました。

 

ちゃんと回答するか不安な人達ですよね。

受刑者に対する信頼がなければできません。

きっと、調査した人は、大概の人を信用してしまう損するタイプの人間だと予測します。

 

2.犯罪を犯してしまう4つの理由

 

その結果を大雑把に以下の4つのグループに分けました。

 

①状況:「どうしようもなかった」「こうするよりしかたがなかった」など、やむを得ない状況で事件を起こした。

 

まぁ、確かに、殺人とかは、こういう、やむにやまれぬ事情とかあることもあるでしょうね。

これが、痴漢とか、性犯罪だと、嘘つけってなりますけど。

「やむにやまれず、触ってしまいました」って、嘘つくな、どんな事情だってなります。

 

②忍耐:「ちょっとの我慢ができなかった」など、忍耐力がなかったために事件を起こした。

 

これは、結構あるでしょうね。

犯罪につながるようなことではないけど、多くの人は、ちょっとの我慢できなかったことがあるのではないでしょうか。

 

③運:「不運だった」「偶然が重なった」など、意図したことではなく運が事件につながったと感じる。

 

状況が悪かったってことになるんですかね。

運が悪くて、人を殺したとか、わいせつ行為をしてしまったってのは、どういう状況?って感じですね。

 

④衝動:「衝動的性格から」など、思わず事件を起こしてしまったと感じる。

 

衝動的に襲われたら怖いよ!

これこそ、被害者が不運ですね。

 

3.犯罪をエスカレートさせる「場面」の力

 

こうした心理に拍車をかけるのが犯罪を起こさせる「場面」です。

 

綿密に犯行を計画する知能犯や経験豊富な犯罪者は別にして、いわゆる偶発犯(偶然やってしまった)や機会犯(たまたまその機会があった)、あるいは初発犯(非行者)などは、たまたま出会ったその場の雰囲気や状況に誘われる形で犯罪行動を起こしてしまうのです。

 

雰囲気に負けてしまうんですね。

空気読むタイプではありそうです。

 

例えば、通りかかった店先には周囲に誰の目もなく、つい手が出て万引きしてしまったとか、カフェで隣に座った人の忘れ物を店員に届けず持ち去ってしまったなどです。

 

出来心というか、悪魔がささやいたってヤツですかね。

どんな些細な悪魔のささやきでも、聞き取るのが上手な人もいそうですが。

 

こうした場面が犯行を誘引することを「場面誘引」といいます。

 

ところが、こうしたちょっとした犯行がうまくいってしまうと、同じような場面に出会わないかと期待するようになります。

 

あれ?

どんどん、悪魔の声が大きくなってきてますね。

 

そして、店員の目を盗める死角を探すようになってしまうのです。

 

これを「場面選択」といいます。

 

これは、もう悪魔に話を聞きに行っている状態ですね。

 

さらに、場面選択がうまくできないようになると、強引に場面をつくろうとします。

 

これが、「場面形成」です。

 

店舗をこじ開けて強奪するなど、その手口は悪質になっていきます。

 

こうして、最終的に、自分が悪魔になってしまう、という。

上手にオチがついたと思っているのですが、どうでしょう。

 

4.雑感

 

その時の場面って、やっぱり人の判断に影響を及ぼすんだなと思いますね。

 

こういう状況を作らないシステム設計が、根本的な解決につながるかもしれませんね。

 

もちろん、人権を制約しない範囲で。


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最近は、ネット上での誹謗中傷が多いですよね。

 

やっぱり、ネット上にスマホやPCで書き込むことと、リアルに相手と対面して発言することとでは、ネット上での書き込みの方が、心理的に大分気楽なんですよね。

 

これは大多数の人間に当てはまると思います。

 

ネガティブな言葉や攻撃的な言葉って、なかなか相手の目を見ながら発言できないです、通常は。

 

それに慣れている人も一部にはいます。

 

相手に自分の顔面が見られていない状態で攻撃するってのは、隣のビルの屋上から政界の大物を仕留めるゴルゴ13のような感じですね。

 

ゴルゴ13は、暗殺者なので、自分の正体がばれてはいけないという、理由があります。

仕事がなくなって、フリーターになってしまいますからね。

元暗殺者が、コンビニのバイトするのは、ハードル高いんです。

 

ネット上での誹謗中傷をする人たちは、自分の正体がばれてはいけないから、本当は面と向かって言ってやりたいのに、泣く泣くネット上で発言をしている、なんてことはないですよね。

 

自分の正体がバレない(実際は、突き止めることが可能ですが)というシステムの下、気持ちが大きくなってしまうんでしょうね。

 

それで、誹謗中傷をして、相手の心を傷つけてしまう。

 

でもね、ちゃんと、自分の書き込みを見る「人間」がいるってこと理解して、ネット上で発言する人もいるんです。

 

結局は、想像力の問題だと思うんです。

 

PCやスマホの画面で完結していると思う人は、向こう側に人間がいることを想像してほしいですね。

 

【目次】

1.侮辱罪の厳罰化

2.侮辱罪の厳罰化は、自由な発言を封じ込めてしまうか

3.雑感

 

1.侮辱罪の厳罰化

 

そんなこんなで、ネットでの誹謗中傷は、大きな社会問題となっています。

 

ネットでの誹謗中傷を抑制する対策として挙げられた方法は、侮辱罪の厳罰化です。

 

ネット上に関わらず、他人の悪口を言った場合、侮辱罪や名誉棄損罪が成立する可能性があります。

 

ここで、侮辱罪と名誉棄損罪の違いって何なのか、ってことになるのですが、ものすごく簡単に言うと、発言の内容が抽象的か具体的かって感じです。

 

例えば、「●●はバカだ」とか「●●はブスだ」という発言だと、侮辱罪の成立が問題となりますし、「政治家の●●って奴は、▲▲会社から賄賂を受け取っている」とか「●●さんは、同僚の▲▲という人と不倫している」という発言だと、名誉棄損罪が問題となります。

 

ネット上の誹謗中傷の内容が抽象的に、特定の人を侮辱する発言である場合は、侮辱罪の成立が問題になるわけですが、では、なぜ侮辱罪の厳罰化だけ話題になるのか。

 

それは、侮辱罪は、名誉棄損罪と比較すると、刑が軽いんですね。

 

現状、「名誉棄損罪」の刑罰が「3年以下の懲役もしくは禁固又は50万円以下の罰金」であるのに対し、「侮辱罪」の刑罰は、「拘留又は科料」となっています。

「拘留」とは、1日以上30日未満の間、刑事施設に拘置することです。

「科料」とは、1000円以上1万円未満の金額の納付を命じることです。

 

なので、仮に、ネット上で、特定の人を、抽象的な言葉で侮辱するような誹謗中傷をした結果、その人が自殺してしまった場合、侮辱罪が成立したとしても、1万円未満のお金を払うか、30日未満の間、拘束されれば、刑罰は終わりになってしまいます。

 

前科はつきますけど。

 

人の死という重大な結果を招く危険性があるような行為であるのに、刑罰が軽すぎないか、ってのが、今回の問題提起ですね。

 

そこで、上川陽子法相は916日、社会問題となっているネット上での誹謗中傷対策として、侮辱罪に懲役刑を導入する刑法改正を法制審議会に諮問しました。

 

今回の諮問は、現行の侮辱罪に「1年以下の懲役・禁錮または30万円以下の罰金」を追加する内容となっています。

 

ネットでは歓迎する意見が多いようですがが、その一方で「批判と中傷の線引きが曖昧で、言論が萎縮してしまわないか」「権力者が批判を封じ込めるためにも使えてしまわないか」など懸念する声もあるようです。

 


2.侮辱罪の厳罰化は、自由な発言を封じ込めてしまうか

 

侮辱罪や名誉棄損罪のような、発言を罰する犯罪については、表現(言論)の自由との調整が、問題となります。

 

憲法は、原則として、国民に表現の自由や、言論の自由を保障しています。

 

つまり、何か発言した際に、その発言の内容次第で、不利益な扱いをしてはいけないってことですね。

 

ただ、当然のことですが、この表現の自由や言論の自由も、無制約ではありません。

 

他人の権利を不当に侵害してはいけません。

 

なので、表現の自由や言論の自由に一定の制約を課すこともできますが、これがなかなか難儀な問題を生むのです。

 

例えば、本来、政治批判は、より良い政治の模索という点では、歓迎されるべきではありますが、批判をされて、それを受け入れることができる政治家だけではありません。

 

気分を害する人もいるでしょう。

 

そこで、その批判を、「侮辱だ」とか、「名誉棄損だ」とか言って、封じ込める可能性が出てきてしまうのです。

 

このように、意見を言ったら、罰せられる可能性があると思うと、自由に自分の意見を発信することができなくなってしまいます。

 

そして、「発言しないことは賛成とみなす」みたいな運用になってしまいかねません。

 

発言する際、常に処罰される可能性を考慮しなければならないとしたら、ネット上で自由な議論は成立しなくなるでしょう。

 

判例上も、侮辱の成否については、いまだ明確な線引きはされていない状況のようなので、侮辱罪が厳罰化されることによって、自由な発言が阻害される可能性もゼロではないんです。

 

罰せられるべき誹謗中傷的な発言と、尊重されるべき意見の発信の区別について、どのような基準を確立していくか、この問題の議論の場として、ネットが活用されればいいなと思います。

 


3.雑感

 

多くの人から、誹謗中傷を受けることって、一般人はなかなかないじゃないかなぁとは思いつつ、他方で、中学生、高校生とか、逆に、まだ触れるコミュニティーが狭いので、小数の人間から誹謗中傷されたとしても、狭いコミュニティーでの割合は大きくなって、精神的にダメージを負ってしまうことってあると思うんですよね。

 

逆に、大学生とか社会人になると、いろんな種類のコミュニティーや、人間と触れることになるので、一部のコミュニティーで誹謗中傷されても、別のコミュニティーに移れば、誹謗中傷されたことも気にならなくなる、という逃げ道があるので、まだいいか、と思っていたのですが、なかなかそうでもないみたいですね。

 

人間って、メンタルがやられてる時は、ホントに世界が狭く見えてしまうんですよね。

 

今いる現状の継続しか、自分の生きる道はないんだ、みたいな。

 

ホントは、現状から逃げても、他に沢山の道があるのに、それが分からなくなってしまうんですね。

 

中学生、高校生、そして大人になってからも、つらい現状から逃げ出すような場所や方法が提供できればいいな、と思います。

 

「辛いならやめていい」「逃げていい」って言ってくれる人がそばにいるって大事ですね。

 

不幸になってまで、我慢しなくちゃいけないことってないですからね。

 


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