今年も、日本人がノーベル賞を受賞しましたね。

真鍋淑郎さん、物理学賞受賞おめでとうございます。

 

地球規模の物質循環モデルを考案し、気候変動や地球温暖化の予測を可能にしたそうです。

 

勉強不足の極みなので、理解できる単語が少ないのですが、国民はみんなきっとこう思っているはずです。

 

「スゲー」って。

 

世の中には学問が沢山あるのに、ノーベル賞の対象になっているのは、結構限定されていますよね。

 

犯罪心理学も、突き詰めれば、実は奥が深い分野なのですが、ノーベル賞の対象になるのは、いつになるやら。

 

【目次】

 1.犯罪心理学の守備範囲 

 2.犯罪に対する第三者の心理対応 

 3. 自分の理論が最強という誤解 

 4.不可解を「納得」で処理 

 5.素人に左右される素人 

 6.雑感 


1.犯罪心理学の守備範囲

 

犯罪心理学は、「犯罪者の心理を解き明かす学問」ではありません。

 

犯罪者の心理はもちろんですが、犯罪によって被害を受ける人(犯罪被害者)や、裁判の過程やあり方、犯罪者の矯正や防止など、さまざまな研究対象が含まれています。

 

さらに、犯罪者でもない、被害者でもない、直接犯罪に関わっていはいない社会の人々の心理も関係してきます。

 

全然関係ない、家でテレビやネットを見ているだけの人の心理までも研究対象に含まれてしまう、犯罪心理学の守備力の広さはイチロー並ですね。

 

犯罪は、それだけ世の中に大きな影響を及ぼしているのです。

 

2.犯罪に対する第三者の心理対応

 

私たちは日々の生活を災害や犯罪のない平穏な日常を送ることを前提として過ごしています。

 

これは日本の誇りですね。

犯罪がないことが原則であり、犯罪は例外的な事態です。

 

だからこそ、多くの人を巻き込む大きな災害や重大犯罪が起きれば、人々は「自分が犯罪に遭うかもしれない」という不安を抱きます。

 

「かもしれない」生活になってしまうわけですね。

犯罪がなければ、心配ないさ~って、意気揚々と生活できるのに。

 

そして、その犯罪は一般の人々の想像を超えるものであればあるほど、どんな人がその犯罪を起こしたのか、また同じような犯罪が起こるのではないか、自分もそうした犯罪に巻き込まれる被害に遭うのではないか、などと心配になり、早く犯人を捕まえてほしい、原因や理由を究明してほしいなどの解決策を求めるようになります。

 

食い逃げとかだったら、金がなかったんだろうな~って予想することが容易なんですけどね。

神奈川県の障碍者福祉施設で、10数人が殺された事件とかは、「なぜ」、「どうして」、「怖い・・・」って感情が出てきますよね。

 

そうした、日常に予測できない異常な事態とは、一般的な基準や集団の約束事、つまり規範からは逸脱した事態と考えられます。

 

「人は殺してはいけない」、「他人の物を盗んではいけない」という、みんなが当然に理解していることに反して、人を殺したり、物を盗むことについて、普通は理解できないわけですね。

 

私たちが通常考えている規範から逸脱した行為が、犯罪となって現れるともいえるでしょう。

 

そして、異常事態を起こした人の行動や考え方は、一般人が考える規範から逸脱しているからこそ、人々には不可解なこととして捉えられます。

 

人々は、その事態が不可解だからこそ、不安を感じるのです。

 

自分が完全に把握していることってのは、何も怖くありません。

「はいはい、このパターンね」って感じで、余裕たっぷりなはずです。

 

また、なぜそうした事態になったのか、その理由を早く知らせてほしいと思います。

 

こうなったら、ネットで検索しまくりますよね。

何か詳細な情報はないかと、クリックしまくるわけです。

そして、フェイクニュースも出てきたりと・・・

 

人は、早く知って、明快な解決や答えを求めることで、不安を解消し、安心したいと思っているのです。

 

3. 自分の理論が最強という誤解

 

人々は、異常事態である犯罪に対して、説明を求めたがります。

 

不可解な状況や曖昧さに耐えられないからです。

 

意味不明な行動をする人って、興味深さもあり、さらに恐怖もあるから、「なぜか」という理由を早く獲得したいのです。

 

そして、自分自身も、事件に対して「愛情のない家庭に育ったんだな」とか、「エリート家庭だからこその犯罪だよ」などと、犯罪の原因について議論したりします。

 

こういうのは、メディアもよくやっていますよね。

当事者の周辺事情を調べて、あてになるのか分からない経験則で、当事者を過去にあったタイプに当てはめるわけです。

 

私たちは、心理学者や専門家でなくても、誰もが独自の理論を持っているといえます。

 

誰もが、事件や当事者について語ることができるのです。

きっと小学生にだって、一定の見解があるはずです。

 

こうした人間に関する人々の独自の理論は、近代科学が進んでいく過程で消えていった様々な迷信などとは違って、一層活発に語られます。

 

迷信は、科学が排除してくれるのに、個人の見解は排除することができないんですね。

ある意味、みんなが自分の意見を持つことはいいことだとは思いますが。

 

人は経験を積めば積むほど、そして、いろいろな専門家の解説などを見聞きすればするほど、何の根拠もない独自の理論を確立していき、語りたくなるのです。

 

語りたくなりますね~。

自分は、こんな大人になりたくはないなぁ、と思っていたはずですが、気づけば語っていますね。

 

このような理論を、「しろうと理論」と呼びます。

 

そのままやんけ。

 

4.不可解を「納得」で処理

 

「しろうと理論」は、どんな場所でも、どんなトピックについても、様々に語られますが、その多くは単純な因果関係から成り立っています。

 

物事を単純化した図式に当てはめ、それに当てはまらないものは排除してしまいます。

 

つまり、「しろうと理論」は複雑さを避けようとします。

 

ウケますね。

これが、素人の素人たる所以かもしれません。

複雑さは、誰しもが嫌なんです。

 

犯罪心理も、「これが原因だ。だからこうなる」と、決めつけることができれば、一応の納得(すっきり感)ができます。

 

そうなんです。

みんなが求めているのは、事件の真相ではなく、納得感なんです。

 

マスメディアの報道に対しても、単純な説明に納得してしまうのもそのためかもしれません。

 

また、自分の仮説には合わない事例は見て見ぬふりをするという特徴もあります。

 

もう、だんまりです。

ネット上での、論破合戦もこんな感じに見えます。

 

例えば、持論を覆すような事実や状況が出てきたとき、「それは例外的なケースだね」などとお茶を濁そうとするのではないでしょうか。

 

「あぁ、それはたまたま」

「一般的にはこうだから」

みたいな感じですね。

 

あくまで自分の論理は正しいと主張したいのです。

 

このような状況を選択的確証といいます。

 

5.素人に左右される素人

 

さらに、「しろうと理論」は、その人の経験に基づいた主観的な理論でもあります。

 

例えば、男性と女性とでも考え方は違うでしょうし、育った環境によっても、それぞれの理論は全く違ったものになるはずです。

 

結局は、その人の価値観に基づいているだけで、なんら客観性がないんですね。

 

だた、「しろうと理論」は、どうせ素人の言うことだから」と軽視することはできません。

 

たとえその理論が間違っていても、自信たっぷりに論じられれば、それに左右される人も多いでしょう。

 

自分を疑うことを知らない、自己肯定感の妖怪のような人ですね。

 

例えば、性犯罪の被害者に対して流布している「強姦神話」はその1つであり、被害者をさらに傷つけることになります。

 

こういうのって、最初に言い始めた人の罪は重いですよね。

その後、みんなが、言い始めちゃって、神話みたいになってしまって・・・。

 

また、犯罪者自身も「しろうと理論」を持っています。

 

その理論で自分自身を納得させ、犯行に及ぶこともあるのです。

 

正しい理解の重要性をひしひしと感じます。

 

6.雑感

 

正直、しろうと理論は、なくならないだろうし、防ぎようもないと思うんですよね。

 

それに、自分の見解を持つことは大事だと思います。

 

注意しなければいけないのは、ただの素人の、論理的ではない、穴だらけの理論を、漠然と信じないことです。

 

いつだって、エビデンス(証拠、根拠)を求めるような姿勢が要求されます。