人見知り司法試験合格者 読解くん(ヨミトくん)のアウトプット

E281BE8E-89F2-4923-86CB-A3D5918ECAE3


朝の通勤の際、駅のホームで、人と肩がぶつかった時、『混んでるから仕方ない』と思う人もいれば、『ちゃんと周り見ろよ』とか『わざとぶつかってきたな』と、考える人がいると思うんです。

仕方ない、と思えば、トラブルは発生しないのですが、わざとだ、と考えると、それが発端で、ケンカになったり、いざこざに発展する可能性がありますよね。

この違いってなんなんだろう、とふと思いました。

性格の違いと言ってしまえば、それはそうなんですが、具体的に何が違うのか…

これは、社会心理学的に言うと、『敵意帰属バイアス』の傾向があるかないかの違いです。

【目次】
1. あおり運転をする人、しない人
(1) あおり運転をする人は、被害妄想が強め
(2) 敵意帰属バイアスの強い人ほど、違法な行動に出やすい
2.ネット炎上は、仲間探しによって激化する
3.雑感



1. あおり運転をする人、しない人

(1) あおり運転をする人は、被害妄想が強め

JAF(日本自動車連盟)が実施したアンケートによると、あおり運転をされたことがあると回答した人は、約54%に上りました。

自動車を運転している人の2人に1人があおり運転に被害にあっているとなると、怖いですね…

怖くて運転したくなくなります。

あおり運転は、車線変更や追い越し等、些細な行為がきっかけで起こりますが、たとえイラッとするようなことがあっても、大事故につながる恐れがあるあおり運転は、普通はしないと思います。

些細なことで、攻撃的な行動に出てしまうのは、どんな人なんでしょうか?

それは、心理学的にいえば、『敵意帰属バイアス』が強い人です。

『敵意帰属バイアス』とは、相手からされた行為を、敵意や悪意から生じたものと考える傾向のことです。

攻撃的な行動に出やすい人と、敵意帰属バイアスの関係についての実験をしたのが、ドッジ先生です。

(2) 敵意帰属バイアスの強い人ほど、違法な行動に出やすい

ドッジは、殺人、暴行、強盗などの犯罪歴を持つ青年を対象に、普通は敵意を感じないような行動について、どれぐらい敵意を出すかを、調査しました。

すると、敵意帰属バイアスが強い人ほど、犯罪歴が多いことが分かりました。

このように、敵意帰属バイアスと犯罪行為には、密接な関係があると言えそうですね。

あおり運転もですが、ネットの炎上騒動も、結構、敵意剝き出しな感じしますよね。

ネット炎上も、敵意が原因となって、炎上化しているのでしょうか?

2.ネット炎上は、仲間探しによって激化する

有名人の発言やスキャンダル、バイトテロといわれる動画の公開、公務員、企業の不祥事などは、刹那的にSNSで拡散されますよね。
そして、SNSアカウントには大量の非難が寄せられます。

そして、この非難、批判が過激化していきます。
相手の人格を否定するようなものから、差別的な発言まで、ネットでは罵詈雑言が飛び交っています。
見るに堪えない言葉すらあります。

これは、ただ単純に敵意のみが要因となっているとは思えない。

そう。
他にも、要因があるんです。

ネットの炎上が、過激化するのは、社会比較説が要因です。

社会比較説とは、他者の多くが自分と同じ意見であることで自分の意見に自信をもち、その考えが強化されることです。

インターネットの世界というのは、自分と同じ意見の人を見つけやすい環境であり、自分と同意見のみ見聞きする、あるいは同意見のコミュニティーに参加することで、自分の意見に、過度に自信を持ってしまいます。

この過度な自信が、極端で過激な発言を生んでしまうのです。

つまり、調子に乗ってるんですね。

ただ、自分と同じ意見だけを見ているだけであり、反対意見もあるにもかかわらず、自分の意見は正しいと妄想してしまうんですね。

3.雑感

もちろん、インターネットの匿名性も炎上が激化しやすい大きな要因のひとつでしょう。
それに加えて、社会比較説が合わさると、一瞬で、炎が巨大になるんです。

名前も出ず、誰が発言したかはすぐには分からないから、誰も自分が発言したとは特定しづらい状況で、尚且つ、自分と同じ意見を見て、自分の考えが正しいと思えば、ブレーキが効かず、どんどん発言が激しくなるのは、なんとなく理解できますよね・・・

だからこそ、自分の発言は、何もない、誰もいない空間にただ響いているだけだろと思わず、発言の先には、生身の人間がいることを自覚しなければならないと思いますね。

自分の意見を発信することは、人間としてとても大事なことです。
ただ、目的を改めて確認する必要があります。

その言葉は、他人を傷つけるために生まれたのでしょうか。
きっと、世の中に不満があって、少しでも世の中を良くしようと、問題提起しようという思いで生まれたはずです。

その言葉の価値を決めるのは、発信者の心です。

私も自分の言葉の価値を下げるような言葉遣いには注意していこうと思います。

04CC5D98-48B2-4EBC-B67A-E2ECF7B5975A

上司や先輩の指示命令に逆らえる人ってそんなに多くないですよね。

やりたくないなぁと思っていても、反論できないから、しぶしぶ従ってしまう、そんな経験がある人は多いと思います。

自分では間違っていると思っていることでも、上の立場からの命令がくるとやってしまう。

 

本当は、自分が正しいと思う意見を言って、反論したい、と思っているのに、上司に逆らえないのはなぜなのか?

 

実は、心理学では、人は権威によって命令されると、正しくないと分かっていても、その命令を実行してしまうことがある、ということが分かっています。

 

これは、ミルグラムという学者が、「アイヒマン実験」で明らかにしました。

【目次】
1.平凡な人間でも、残酷な大量殺人犯になり得る

⑴ アイヒマンという、平凡な大量虐殺犯

⑵ 誰でも、アイヒマンになり得る

2.人は権力のある役割を与えられるとその権力を利用しまくる

⑴ 明確なパワーバランスは、人を変える

⑵ スタンフォード監獄実験に対する評価

 

1.平凡な人間でも、残酷な大量殺人犯になり得る

 


⑴ アイヒマンという、平凡な大量虐殺犯

 

アイヒマンとは、ナチス政権下において、ユダヤ人の強制収容所移送の指揮を執っていた人で、ユダヤ人の大量虐殺を現場で実際に指揮していた人物です。

このアイヒマン、どんな冷酷、残虐な人物なんだろう、と思いますが、裁判で明らかになったところだと、ごくごく平凡な公務員気質な人物だということが判明しました!

 

平凡な人物が大量虐殺を実行したなんて驚きですよね!

 

そこで、平凡な人間が、残虐な行為をなぜ実行するのかを明らかにするために、ミルグラムが行ったのが「アイヒマン実験」です。

 

⑵ 誰でも、アイヒマンになり得る

 

実験では、まず、本来の目的とは違った名目で参加者を集めます。

参加者は、教師役1名、生徒役1名のペアに分かれます。

教師役と生徒役は別々の部屋に通され、お互いの姿は見えませんが、部屋にはマイクとスピーカーがあるので、声は聞こえる状態です。

そして、教師役は、生徒役に対し、ごく簡単な問題を出題します。

生徒役は問題に回答していきますが、問題を間違えると、教師役が、生徒役に対し電気ショックを与えます。

電気の強さは、軽微なものから命の危険性もあるものまで30段階設定されていましたが、これは実はウソです。

生徒役も実はサクラです。

生徒役が間違うたびに、教師役は、研究者から促され、生徒に電気を与えるスイッチを押します。

電気が強くなるほど、生徒役は、演技ですが、悲鳴を上げ、「もうやめてくれ」と叫びます。

しかし、研究者は、教師役に、続けるように命令し、教師役が拒否するまで実験は続きます。

 

そうすると、結果的に、教師役40人中、26人が最大レベル、つまり死の危険があるレベルまで電気を流したのです!

 

これって驚愕ですよね!

教師役には、命令を拒否したって、何も罰はないんですよ!

 

人間って、命令されると、悪いことという理解はありながら、それを実行してしまうんです!

こわいですね・・・

 

でも、命令されたからといっても、その残忍性って、どこからくるんでしょうか?

 

人の行動には、役割が大きく影響しているようです!
それを検証がしたのが、「スタンフォード監獄実験」です。

 

2.人は権力のある役割を与えられるとその権力を利用しまくる

 


⑴ 明確なパワーバランスは、人を変える

 

「スタンフォード監獄実験」は、映画化もされた恐ろしい実験です。

 

この実験は、スタンフォード大学に設置された、本物のそっくりの模擬刑務所の中で行われました。

 

参加者は、心身ともに健康で、これま反社会的行為をとったことない、21名の平凡な学生です。

研究者は平凡な人間を探すのが上手ですね。

 

参加者たちは、ランダムに看守役と、囚人役に振り分けられます。

そして、模擬の監獄で、2週間、役割に沿って、行動してもらいます。

看守役は、実験中は、交代制なので、家に帰ることができますが、囚人役は、2週間の間、模擬監獄の中で過ごさなければなりません。

囚人役は結構しんどいですね。ツイてない・・・

 

そして、リアリティを出すために、看守役はサングラスと制服を着用し、警笛と警棒も支給されます。

囚人役は、名前ではなく、番号で呼ばれ、足には鉄製の鎖がつながれます。

 

こうして始まった監獄実験は、研究者の予想を遥かに超える事態へと発展していきました!

 

時間が経過するにつれ、看守役は囚人役に対して、命令的に、侮蔑的、支配的な言動をとるようになり、囚人役への精神的な虐待を行うようになったのです。

 

最終的には、禁止されていた暴力行為が発生したため、2週間予定されていた事件は6日間で中止になりました。

たった6日間で、人間は、これほど変わってしまうんですね!

 

⑵ スタンフォード監獄実験に対する評価

 

この実験から、人間は、他人を服従させることのできる役割を与えられると、その役割に染まり、残忍なふるまいを行うことが判明した、と言われています。

 

でも、実は・・・・

 

近年では、この実験に結果については、疑義が生じています。

 

というのも、実は、看守役は、自らの判断で、残忍な行為に出たわけではなく、研究者に指示されていた、誘導があった、と言われているのです。

 

このことから、この実験結果に対しては、疑問視する意見も上がっているようです。

 

ちなみに、このスタンフォード監獄実験を題材にした映画は、「es」(エス)というのですが、結構面白いです。

バイオレンス要素が多少あるので、それが平気な人は、一度ご覧ください。

通勤途中の混雑した駅で、人が倒れていたら、あなたは、その人を助けますか?

東京などの都会では、非常に沢山の人がいるラッシュ時の駅で具合が悪くうずくまっている人がいても、誰もその人を助けない、という光景を見る時がありますよね!

心当たりがある人も多いと思います・・・
私も、過去に気付きながら素通りしたことがあります・・・
あの時は、やはりなんだか罪悪感に似た何かを感じました・・・

これは、都会の人が、他人に無関心で、冷たいからなんでしょうか?

例えば、都会に住んでいる人が、地方にいって、目の前に倒れている人がいたら、その場に自分しかいなくても、ほったらかしにするんでしょうか?

そんなことはないですよね!
助けますよね!

じゃあ、この違いはなんなのか?
人間はどのような心理になっているのか?

読み解きます!

【目次】
1.数十人が犯行を目撃しながら事件を放置
2.自分の周りに沢山の人がいると思うと、助けない
3.人助けするためのステップ
4.自己責任が人助けを遠ざける


1.数十人が犯行を目撃しながら事件を放置

 1964年、ニューヨークの住宅街で、ある女性が、自宅アパート前で、暴漢に襲われ刺殺される事件が発生しました。
 犯行は30分以上にわたって行われ、アパートの住人38名が、この事態に気付いていました。
 中には、犯行を目撃している人もいました。
 このように、多勢の人が犯行に気付きながら、なんと誰一人として、女性を助けるどころか、警察に通報することすらしなかったんです!
 
 ニューヨークの人はなんて冷たい人ばかりなんだ!と、犯罪やりたい放題じゃないかと、思っちゃいますよね。
 当時の報道でも、大都市特有の他人への無関心と冷淡さが背景にある、と報じられたそうです!
 そりゃそうなりますよね!

 でも、ホントにそうなんでしょうか?
 都会の人間が冷たいから、このような事件が発生してしまったのでしょうか?

 このような疑問をもった心理学者ラタネとダーリーが、都会の印象を復活させるためかは知りませんが、実験を行いました。

2.自分の周りに沢山の人がいると思うと、助けない

ラタネとダーリーがぶちかました実験は、下記の通りです。

初めに被験者である学生に集団討論会への参加を依頼。
集まった学生を個室に案内。
個室にはインターフォンがあり、インターフォンを押すと発言ができる。
学生は他の部屋の学生と顔を合わせることはない。
学生は、インターフォンを使って、順番に発言する。

こんな感じで、学生たちは、出題された議題について討論を繰り広げていきます。

学生たちが討論していると、突然、別の部屋にいる学生の1人が発作をおこし、インターフォンで助けを求めてきます。

参加者が突然発作になったら、監督者に報告するなど、何かしら救助活動に出るに決まっている、と感じますよね?

この実験は、討論の参加者を6人、4人、2人、と人数を変えて行ったのですが、参加者が2人の場合は、3分以内に監督者に異常事態を報告したのに対し、6人の場合は、4分を経過しても、60%の人しか報告しなかったのです。

被験者である学生たちは、冷淡な人間ばかりだったのでしょうか?

もちろんそうではなく、人間は、多くの他者がいるときほど、援助行為を起こしにくくなるのです!
これがズバリ「傍観者効果」です!

3.人助けするためのステップ

ラタネとダーリーは、この実験結果から、人が他人を助ける過程には、5つのステップがあると考えました。

1 異常事態に気づいたか
2 この異常事態が緊急を要するということに気づいたか
3 援助を行うことについて、自分がやらなければならないと考えたか
4 援助を行うために、何をすべきか理解しているか
5 実際に行動に移すか

お察しのとおり、傍観者効果に影響しているのは「3 援助を行うことについて、自分がやらなければならないと考えたか」ですね。
周囲に他の人がいると「自分がやらなくても、他の人がやるだろう」と思ってしまうわけですね。
なんとなく、耳に痛いというか、心当たりがあるというか。

みんな、自分と同じように「誰かやるだろう」と思った結果、誰もやらない、という、あるある展開になるわけです。

4.自己責任が人助けを遠ざける

たまに、報道で、紛争地帯に出向いて、武装勢力に拘束される人たちがいますよね。
人質として日本との交渉材料にされたり。
このような人たちに対し、結構な割合で、「自己責任やんけ!」という批判がされます。
つまり、人質になった人に対して、援助を行うかどうかの判断基準が、自己責任かどうかが考慮されているのかもしれません。

ここで、また実験をぶちかました人がいます。
その名はパメラ。

パメラは、250名の学生を対象として、下記のような実験をおこないました。

学生たちに、HIVと診断された患者に関するストーリーを読んでもらう。
このストーリーには5パターンあるが、いずれもHIV患者の話であることは共通している。
ただ、HIVに感染した原因が異なる。
ストーリーを読んだ後、学生たちに、ストーリーに登場した患者を援助したいか質問する。

この質問に対し、例えば、輸血によってHIVに感染した患者のストーリーを読んだ学生は、患者を援助したい、と回答しましたが、性交渉やドラッグで感染した患者のストーリーを読んだ学生は、援助を申し出ませんでした。

そりゃそうだろ、って感じですが、そこが重要なんです!
登場する患者は、同じようにHIVに感染しているはずなのに!

つまり、不幸や災難の原因が、本人にない場合は、その人を助けなるけど、原因が本人にある場合は嫌悪感を生じて、助けないのです。
嫌悪感まで感じるって、すごい差ですよね!

この実験結果は、当然といえば、当然ですが、人間の心理の中には、「自分のケツは自分で拭け」という考えが存在しているんですね!

責任の所在は、援助の有無を大きく左右するってことですね。

このページのトップヘ